夏の相棒


今日の京都市内の最高気温は38度でした。京都は関西の中で最も暑く湿度が高いとても攻撃的な夏を体感できる街です。盆地の中に街があり風が通らない地形で、近代化した街はいっそう熱気の中にあります。

ここ神吉は標高が高くクーラーいらずの生活を送っていますが、さすがに日中の暑さは厳しく農作業をしている人はほとんど見かけません。

この季節は田んぼの畦の雑草が農家の思いとはうらはらに元気よくすごい早さで伸び続けます。この雑草をある程度のびたころ全部刈らなくてはいけません。これを放置すると雑草が繁栄してそのうち木などが生えだし作付けのできない放棄地になります。

平成26年現在全国の荒廃地は約28万へクタールだそうです。この数字が良いのか悪いのかは置いておいて、周りをみわたしても毎年田んぼを手放す農家が増えているのが現実です。昔は田んぼや畑は財産であり子供に残すために必死で守ってきたのでしょう。今は土地の税金だけ払い誰かに作ってもらっている状況です。

なぜそうなるのか考えたとき1つ面白くも、さみしくも感じた経験があります。

少し前のことになりますが近所の子供が家に遊びにきていました。その子供のおじいさんには日頃とてもお世話になっていてお米も作られています。たまたまお米作りで使う機械を新しく購入して家の前に置いていました。

もともと機械好きな少年は興味津々なおももちで「これ買ったの?」と聞いてきたので、そうだと答えると「無駄なんじゃない?」と言うのです。小学1年生です。思わず笑ってしまいましたが、この少年の言葉が今の特に米農家の現状です。

要するに昔ならおじいさんの次の代が継いでお米を作るはずがその気はなく、なおかつ子供にもそのような教育をしているのかはたまた日頃農業などしてはいけないと思わせる光景が日常にあるのか、無垢な少年がこのように言うのはどちらかしかないと思いました。

しっかりとした経営ができて子供を育てられるくらいの収入が確保できればもっと多くの2代目、3代目が後を継ぐでしょう。しかし現代は昔よりも職業の種類も多様で自由に選択できますから、農家に産まれたからといってむいてない人もいるでしょうし僕はやりたい人がやればいいと思っています。

後を継がない世代がでてきたのでおじいさん達はもうやっていけないのです。田植えをするだけなら基本機械作業ですのでなんとかできても、夏の草刈りはどうしても人力になります。この作業ができなくて田んぼを手放す人が多いと思います。それだけ草刈りは重労働ですし、田んぼが多ければ多いほど広大な面積を刈らなくてはいけません。

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遠回し遠回しにここまきましたが、いくら重労働をして田んぼを管理しても農家は一部を除き儲かりません。一生懸命作っても儲からないのは価格が安いからです。なぜ安くなったのかは日本人の生活の変化を考えると容易に想像できますが違う機会に踏み込んでみたいと思います。

とにかく朝から草刈りにいきます。写真のように100mもある畦を地道に刈っていきます。

こんな日の夕食は最高に美味しくいただけます。

 

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